第10回 学術大会
日時:令和元(2019)年9月7日(土)12:50開場
会場:京都大学百周年時計台記念館国際交流ホールⅡ(京都市左京区吉田本町/本部構内)
大会テーマ 「日本論」
13:00-13:05 開会挨拶 理事 岡田晋亮(東リ株式会社相談役)
13:05-13:20 総会
13:20-13:50 基調発題 会長 近藤 剛(京都産業大学教授)
14:00-15:00 研究発表 第一部
15:20-16:20 研究発表 第二部
16:20-16:25 閉会挨拶 理事 永松道晴(株式会社インテグレード代表取締役社長)
17:30-19:30 懇親会 「温石 左近太郎」(木屋町)
プログラム
13:20-13:50 基調発題 近藤 剛(京都産業大学教授)
「溶解する日本の国柄」
14:00-14:30 研究発表 仙波 義規(八尾支援学校高等部教諭)
「柳宗悦と「日本の良心」」
要旨:民藝運動で名高い柳宗悦は、宗教哲学者でもあり、欧米人に劣等感や被圧迫感を持たず、朝鮮人に対して優越感や支配者意識を持たないという観点から、戦前日本の朝鮮植民地に反対した人物です。柳宗悦の主張である、日本人は欧米から学ぶばかりでなく、独自の文化的貢献をしなければならないという「日本の良心」の観点はもっと多くの日本人に知ってもらいたいと考えています。
14:30-15:00 研究発表 溝浦 健児(自営業)
「言語としての日本」
要旨:日本には、主権国家、国民国家の日本国、すなわち、天皇と皇室を中心とした国体以外にも、文化や文明、信仰や言語、民族や血統など、様々な顔が存在すると言える。天皇や皇室が日本の根幹である事は言うまでもないが、文化や文明、信仰や言語、民族や血統なら、おそらく答えは一つではない。文化としての日本は、その意味する範囲があまりに多岐にわたり、また抽象的であるし、文明としての日本なら、しばしば一国一文明などと評される事もあるが、これも上記と合わせて、日本固有の信仰である神道と、その祭祀である天皇に還元されるべきものであろう。民族については、様々な要素が複雑に絡み合った政治的概念だと言えるが、これは日本民族とは何か?という問いに直結する問題でもある。ならば、言語としての日本ならどうか?“日本語話者が抱く、日本語共同体への帰属意識”こそ、日本民族たる所以という結論に、異論のある向きは少ないのではないだろうか。
15:20-15:50 研究発表 黒田 基(同志社香里中学高等学校嘱託講師)
「日本の子どもの現状と歴史教育の役割」
要旨:平成25年度の内閣府の調査によれば、日本の子ども(若者)は諸外国に比べて自己を肯定的に捉えておらず、自国や自己に明るい希望を持っていない。さらに社会への関心が低く、「悲しい」「憂鬱だ」と感じている。このような状況は、内部からの崩壊が文明を衰退させると述べるトインビーの意見と一致しているだろう。この状況を止めるためには教育の責任が非常に重要であろう。そこで本研究は日本の子どもの精神的な状況の要因を考察するとともに、その手立てとして、筆者の専門である歴史教育が担う役割について考察する。
15:50-16:20 研究発表 德田 季晋(羽衣学園教諭)
「三島由紀夫の日本論に対する批判的考察」
要旨:戦後、日本論を展開した代表的な人物に三島由紀夫があげられる。三島の日本論といえば『文化防衛論』が有名だが、その他に分かり易いものとして『葉隠入門』がある。それらを紐解くと、日本国は天皇という「価値の保証人」がいて初めて成り立つ、という主張がなされていることがわかる。三島の日本論は一見すると過激で時代錯誤に感じられる。現代を生きる私たちは、天皇を守るためになら死んでも構わない、などとうてい思えない。しかし、三島が「天皇を守れ」という言葉で真に言い表したかったことは、「自らの故郷を愛し、責任を持って生きよ」ということであり、至極真っ当な意見だと思われる。三島の日本論が戦後の日本人に受け入れられなかった原因として、天皇という存在に重点を置き過ぎたことがあげられるのではないだろうか。愛する家族や友人、そういったものに焦点を当てながら日本論を展開すれば、同じ主張でも受け入れられたのではないかと筆者は思う。